前回は、介護現場におけるカスタマーハラスメント(以下、「カスハラ」といいます)が社会問題化していること、法人がカスハラ対応を放置した場合に生じる深刻な問題について解説しました。詳しくは、以下をご覧下さい 。
今回から、いよいよ各論に入ります。
実際に介護事故が発生し、その事故対応時に利用者の家族が不当な要求をしてきた、というカスハラ事例を基に考察を深めていきましょう。
具体的には、以下の項目について解説します。
<ケース>
デイサービスの利用者がサービス利用時に転倒する事故が発生しました。職員の介助に足りない点は無く、避けられない転倒事故だったと思っています。しかし、利用者の家族が、「転倒したのはデイサービスが悪い!どうしてくれるんだ!今後の治療費はどうしてくれる?病院に連れていくために仕事を休まないといけない。休業補償はどうしてくれるんだ?慰謝料は?」等、すごい剣幕で怒っています。
どのように対応すれば良いのでしょうか?
今、巷ではカスハラがニュースやワイドショーなどでも頻繁に取り上げられています。メディアで「キレる客」「シルバーモンスター」「モンスタークレーマー」と言った言葉に触れた人も多いのではないでしょうか。人は、このようなネガティブな言葉に多く触れると、そのイメージに知らず知らずのうちに影響を受けてしまいます。そして、いざ、ケースのように介護事故発生直後からものすごい剣幕で怒っている家族に接すると、反射的に「あ、モンスタークレーマーだ!カスハラだ!」と思い込んでしまう可能性があります。しかし、これはご法度です。
自分の家族が怪我をしたり、事故に遭ったとき、冷静でいられる人はそう多くありません。むしろ、怒りや悲しみ、混乱の中にいることの方が通常です。事故の初期対応の場面で心掛けてほしいのは、例え相手が理不尽に怒っているように見えても、まずは、「話を聞こう」という姿勢で臨むことです。
では、もし事故の初期対応の場面で、相手を「モンスタークレーマー」と決めつけると、相手に対する対応はどのようなものになるのでしょうか。
おそらく、嫌悪感が体全体から発せられ、相手に嫌な印象を与えることになるでしょう。そうすると、相手はその「負の感情」を敏感に感じ取り、「なんだその態度は!被害者はこちらだぞ!」と余計に怒りをエスカレートされることになると思います。実は、後述の「謝罪」の部分でも詳しく述べますが、介護事故後の話合いがこじれ、訴訟にまで発展するケースでは、「事故対応のときの態度が気に食わなかった」「相手の態度が反省しているように感じなかった」という感情の対立が原因となっていることが多くあります。弁護士として介護事故の示談交渉に関わっているとき、利用者・家族側の「感情」の部分に幾度となく触れます。つくづく人は感情の生き物だと感じます。それと同時に、事故の初期対応の重要性を痛感しています。
では、ケースのような事例で、「話を聞こう」という姿勢で臨む際、どのような前提で対応をすればよいでしょうか。ポイントは、「相手が自分と同じような常識を持っている人だ」という前提に立つことです。
おそらく家族の感情は以下のようなものでしょう。
「デイサービスに任せていたのになぜ転倒事故が起きたのだ、大事な親が怪我をして辛い。」「仕事が忙しいのに、病院に連れていく時間を作るために仕事を調整しないといけない。会社に何て言えばいいのか。」 「介護疲れから解放され、ほっと一息ついていたのに。」
そのような感情に寄り添って、相手の怒りの感情の根っこの部分に共感する趣旨で謝罪することが大切になります。もしくは、職員自身、事故に対する道義的責任を感じ、自然と謝罪の言葉が出てくると思います。
しかし、かたや次のような疑問が頭をもたげます。
ケースで取り上げた転倒事故については、介護事業所は「介助に不足する点は無かった」「これは避けられない事故だった」と感じています。「自分たちに非が無い事故なのに謝罪してしまうと、お金を要求されるのでは」と疑問に感じる介護事業所もあると思います。実際、このような金銭トラブルを警戒して、「自分たちに非が無い介護事故については安易に謝罪の言葉を述べてはならない」という指導をしている介護事業所も存在します。
このように自分たちに非が無いと思われる事故についてまで謝罪は必要なのでしょうか。
筆者は、このようなケースであっても、謝罪が必要であると考えます。
その理由は、事故直後の場面では、利用者・家族が心を痛めていることが多く、その気持ちに共感していることや道義的責任を感じていることを示さないと、感情の対立が深くなり、交渉がこじれることが多いからです。そして、その謝罪は、法的な賠償責任を意味する謝罪ではないからです。
ここで一つ裁判例を紹介します(東京地裁立川支部平成22年12月8日判決)。
デイサービスの利用者が食事中、誤嚥し、死亡したという事案です。
この事案では、施設長が事故直後、謝罪していたのですが、賠償問題に発展し、交渉では解決しなかったため、訴訟になりました。訴訟では、法人側は、誤嚥事故について法的賠償責任は無いと争ったのですが、ご遺族側は「事故直後、謝罪していたのだから、訴訟になった段階で賠償責任を否定するのは不当だ」と主張したのです。これに対して裁判所は以下のように判示し、遺族側の主張を退けました。
施設長が謝罪の言葉を述べ、原告らには責任を認める趣旨と受け取れる発言をしていたとしても、これは、介護施設を運営する者として、結果として期待された役割を果たせず不幸な事態を招いたことに対する職業上の自責の念から出た言葉と解され、これをもって被告に本件事故につき法的な損害賠償責任があるというわけにはいかない。
※下線太字は筆者
一言でまとめると、「謝罪したからといって、直ちに賠償責任を認めたことにはならない」ということです。「謝罪=賠償責任」と考えるのは論理の飛躍です。図式化すると以下の図のようになります。事故後の謝罪は「人として」実践すべきであるということを今一度、組織全体で共有しましょう。
介護事故直後、謝罪をしたものの、利用者家族から「今後の治療費はどうするんだ」「お宅の事業所で起きた事故だからすべて賠償するのが当然だ。慰謝料も支払ってもらうぞ」「病院に連れていくのに仕事を休んだ。休業補償もしてくれるんだろうな」等、お金の話を立て続けにされるケースがあり、どう対応すれば良いか悩むことがあります。まず理解して頂きたいのは、事故直後の場面から「お金」の話に終始する人は、悪質クレーマーである可能性が高いということです。そのような悪質クレーマーが望むような回答をする必要はありません。
ケースのような転倒事故が発生して、利用者が怪我した場合、仮に介護事業所側に法的な責任があったとしても、賠償問題はすぐに解決できません。
下の図のように、事故が発生した後、少なくとも怪我などの状態が安定しないと賠償額は決まらないのです。この傷病の症状が安定し、医学上認められた医療を行ってもその医療効果が期待できなくなった状態を、「症状固定」といい、これは、傷病が完全に治っている状態を意味する「完治」とは異なる概念です。
賠償実務上、治療費とは、症状固定時までの治療費を意味し、症状固定後の治療費は自己負担となります。このことを理解せず、「治療費を全額払います」と安易に事故対応時に約束してしまうと、トラブルの元です。利用者・家族側は「症状固定」という概念を知りません。「治療費を全額払います」と答えると、「完治するまでは支払ってもらえる」という誤解を与えてしまうのです。慰謝料という言葉も同じです。慰謝料には、入通院慰謝料と後遺障害慰謝料という2種類があります。前者は症状固定時までの入院期間・通院期間に応じて算出される慰謝料、後者は、症状固定時の後遺障害の程度によって算出される慰謝料です。このように損害項目やその内容は法的な判断を伴う概念であるため、事故直後に「約束」できるようなものではないということを理解して下さい。
事故直後からお金を要求された場合は、「今すぐに判断することはできません。法人内部、保険会社と協議した上で回答させて頂きますので、しばらくお待ち下さい」という回答して、まずはその場から離れることをお勧めします。
「社内や保険会社と協議した上で回答します」と丁寧に答えたにも関わらず、「なんだその対応は!明らかにそちらのミスで起こった事故なのに責任逃れするつもりか!」などと畳み掛けられても、決してその圧力に負けてはいけません。事故対応の場面では、相手の圧力に屈し、相手の思うような回答をしてしまって後々トラブルが大きくなることが多々あるからです。「自分たちに責任がある、と一筆を書いてくれ」と言われても決して書いてはいけません。上記の症状固定を軸とした賠償の全体像を思い出し、拒絶するようにして下さい。「一筆書く」ということは、法的には示談契約を意味することになります。介護事故に法的な責任があるか否かに関わらず、「法人として支払う」ということを約束する書面になりかねません。後述しますが、介護事故に対応する賠償責任保険は、あくまで介護事故について、介護事業所の賠償責任が肯定される場合にはじめて適用されるものです。示談契約に基づく支払については、「契約の範囲外」として保険会社も保険金を支払ってくれないケースがあります。その場合、全額法人の持ち出しになり、経営上のリスクが高くなります。
そのため、仮に「一筆書け」と迫られた場合には、「大切な利用者様に関わる事柄ですので、いちスタッフである私がここですぐに判断することはできかねます。法人や保険会社と協議した上で、細かく報告させて頂きます」と回答するのが一番良い方法であり、これが最も誠実な対応だとお考え下さい。
介護事業所は、介護事故時の賠償に備え、必ず保険会社の提供する賠償責任保険に加入しています。重要事項説明書にも賠償責任保険に入っていることは必ず明記することになっています。介護事故が生じた場合、保険会社にその事実を共有し、保険で対応できるかどうかを保険会社内部で検討することになります。保険会社へ報告連絡相談する関係上、利用者や家族にとっては、介護事業所の対応を遅く感じることがあり、トラブルが大きくなるケースがあります。
したがって、介護利用契約を締結する最初の場面で、介護事故が発生した場合には、すぐに賠償等の話ができる訳では無く、保険会社に協議した上で進めていく必要があるのだ、ということを丁寧に説明するようにして下さい。その上で、介護事故が発生した際には、保険会社とのやり取りの進捗状況を小まめに利用者や家族に報告するようにしましょう。
介護事故の賠償問題には保険会社の判断を踏まえる必要がある、ということを介護事業所、利用者・家族間で共有できていることが重要です。
以上のことを頭に入れて頂き、次稿では、カスタマーハラスメントに強い組織作りについて論じていきたいと思います。
次回記事:社会問題化している「カスタマーハラスメント」3(過剰・不当要求が続く場合の対処法:カスハラ対応できる組織作りの重要性)
弁護士法人かなめ代表弁護士。29歳で法律事務所を設立。 現在、大阪、東京、福岡に事務所を構える。顧問サービス『かなめねっと』は35都道府県に普及中。 福祉特化型弁護士。特化している分野は、介護事業所・障害事業所・幼保事業所に対するリーガルサポート、労働トラブル対応、行政対応、経営者支援。 無料で誰も学べる環境を作るためYouTubeチャンネル『弁護士法人かなめ - 公式YouTubeチャンネル』を運営中。https://www.youtube.com/@kaname-law テキストで学びたい人向けに法律メディアサイト『かなめ介護研究会』も運営中。 https://kaname-law.com/care-media/