この連載では、証券会社の営業マンという、全くの異業種から訪問看護事業を立ち上げ、いかに医療現場出身のスタッフをマネジメントし、地域に根付く在宅サービス事業者として自社を成長させていったのかを実例を交えながらお伝えさせていただいております。
前回は、私が訪問看護事業を起業した経緯や、立ち上げ時の苦労についてお話ししました。今回はその後、弊社がどのように成長し、どのような問題にぶち当たったか、そして、それをどのように解決していったのかをお話しさせていただきます。
新しく組織を立ち上げる―チームビルディングに役立つ考え方には、タックマンモデルという考え方があります。これは、組織の成長過程を表したフレームワークで、組織が形成されてからの変化を表わしたものです。
チームが形成されてから実際にその機能を発揮するまでの成長段階は①形成期→②混乱期→③統一期→④機能期→⑤解散期というプロセスを辿るという考え方です。
前回の記事では、企業における経営理念の大切さや病院で専門職として働いてきたスタッフのビジネスに関わる一員としての意識改革に取り組んだ時期のことをお話ししました。この頃、弊社はまさに②の混乱期にあったと言えます。スタッフ間で意見のぶつかり合いが起き、それがもとで退職者が出たり、ご利用者様にもご迷惑をおかけしたりしました。
この時期に私が取り組んだのは、わだかまりが残らないようにメンバーそれぞれからしっかりと話を聞き、一つ一つの衝突に丁寧に向き合い解決に当たることでした。不毛な時間になることも覚悟の上で、スタッフがどのように考え、どう思っているのかを知るいい機会であると考えたのです。
案の定、不平不満のような感情論が多かったのですが、驚いたのが、仕事に対する考え方です。
言い換えれば「株式会社に勤める看護師」として、こちらが求める認識とスタッフの自覚のギャップとでも言うべきでしょうか。決して、今までが病院勤務だったから意識に欠けるというわけではありませんが、時間に対する考えや備品1つに対する考え―何にどのようにお金がかかっていてどこからどのように収益があがるのか―をきちんと理解できていない方が多かったのです。
そこで、組織として次のステップを目指すために、この部分の意識の統一から取り掛かることにしました。
開業間もない当時から、経営計画の発表会をしていたのですが、このギャップに気付いてからは、ここで話していた内容は全く理解も賛同もしてもらえていなかったのであろうと反省しました。入金までのお金の流れや、ガーゼ1枚、車を使って移動する事にも経費が掛かるという事、会社の利益がなければ昇給が出来ないという事、などを何度も分かりやすく説明し、株式会社である以上、利潤を追求していかなければいけないことを理解してもらいました。
それでも「社長はお金のことばかり言って、利用者様の気持ちが分かっていない」などと言われましたし、当時は1回1時間の訪問に2時間もかけるなどというスタッフもいました(もちろん利用者様は喜びますが1時間分の利用料しかいただけません)。
何度も何度も説明し、私自身も行動で示すことで、少しずつではありますがスタッフが変わっていったのを覚えています。タックマンモデルで言えば丁度、成長期から統一期に向けて変化していった時期でした。
株式会社PlanB代表取締役。1977年三重県生まれ。2001年明治大学商学部を卒業後、金融会社にて証券マンとして勤務。2010年、親族の介護をする中で当時の在宅看護介護サービスに疑問を感じ利用者の立場から本当に必要とされるサービスを提供するべく独学で創業。2015年に訪問看護ステーションしらゆりケアを皮切りに、訪問介護、居宅介護支援事業所、ナーシングホーム、障がい者グループホームを手掛けている。著書「訪問看護事業成功の条件(幻冬舎)」