株式会社PlanB代表取締役の浜中俊哉と申します。2014年に起業し、現在9年が経ちました。もともと私は介護畑の出身ではありません。証券会社という全く異業種から、参入して起業しました。
私の経験をもとに、そこから得た教訓などをお伝えしてまいります。
今回は起業までの経緯と開業初期の取り組みについて失敗についてご紹介します。
12年ほど前、突然義母が要介護者になりました。
それまで介護保険サービスなど縁のない生活を送っていた私は、全く手探りの状態で申請手続きやサービスの内容について勉強しました。望むサービスが十分に受けられず、その時初めて自分の地域に必要なインフラが不足していることを知りました。
また、その時、さまざまな業者が自宅に出入りすることになり、何度も同じ話をする必要があったり、平日に開催される会議に出たりと、家族としてとても大きな負担を感じました。
私の状況について、もう少し遡ります。
私は大学卒業後、東京で証券マンとして勤務していました。しかし、2006年、私は親戚から「経営する町工場に帰ってきて欲しい」と懇願され、跡を継ぐことになりました。ところが日々の中で会社の問題点や改善事項を指摘などしていると、親戚から次第に妬まれ、悪者にされるようになってしまいました。社内の軋轢は大きくなり、親族間の争いに巻き込まれるに至ってしまいます。親戚とはいえ、社員を大切にしないその経営者の姿勢に、「会社の未来はない」と感じて私は退職しました。
義母の介護が必要になったのはそんな状況の最中にあるときでした。
当時はマンションを買ったばかりでもあり、住宅ローンも残っています。再びサラリーマンになろうかとも考えました。けれど、自分が利用者の立場を経験し、そして反面教師としての経営者の姿を傍で見てきたことから、思い切って「利用者の困りごとを解決できる」と「スタッフが輝きながら働くことができる」が両立できる会社を立ち上げようと決めました。
「利用者の立場で経験した困りごとを解決したい」―。強く感じていたのは、在宅生活を支えるワンストップサービスの必要性です。
当社は、訪問看護ステーションの立ち上げからスタートして、訪問介護1拠点、居宅介護支援事業所1拠点、ナーシングホーム(医療特化型サービス付き高齢者向け住宅)を2棟、神経リハビリセンター(保険外リハビリセンター)、障がい者グループホーム3棟、そして訪問看護ステーションをもう1カ所立ち上げました。2023年9月現在で89名のスタッフが所属しています。当初目指した通り、医療や介護を必要とする人が生活を送るために必要なサービスをワンストップで提供できる体制が実現しつつあります。
しかし、最初から全ての事業が順調だったわけではありません。全くの素人が立ち上げた会社ですから、当たり前と言えば当たり前です。なかなか新規利用者が獲得できず、売上に苦しんだ時期もありました。
地域の病院に何度も頭を下げ、営業活動を重ねていた頃の印象的な出来事として、県立病院の地域連携室の室長から大声で怒られたことがありました。
「あなたたちのような常識のない訪問看護なんて絶対使いません!」と。
株式会社PlanB代表取締役。1977年三重県生まれ。2001年明治大学商学部を卒業後、金融会社にて証券マンとして勤務。2010年、親族の介護をする中で当時の在宅看護介護サービスに疑問を感じ利用者の立場から本当に必要とされるサービスを提供するべく独学で創業。2015年に訪問看護ステーションしらゆりケアを皮切りに、訪問介護、居宅介護支援事業所、ナーシングホーム、障がい者グループホームを手掛けている。著書「訪問看護事業成功の条件(幻冬舎)」